ある日出会ってしまった
女性に憧れた中学時代を経て高校に入学した私が思っていたこと
それは…
「彼氏がほしい、男にモテたい」
でした(爆)
校庭を歩いていたら~
野球部に声をかけられて~
「マネージャーになってよ~」とか、言われないかな~
なんて思っていた当時の私。
まあ特にかわいいわけでもないので、そんな機会には恵まれませんでしたけどね(笑)
相変わらず中学の時に片思いしていた彼を思っていましたが、脈なさそうだなとなって諦めがつき、夏頃には心の方もフリーになっていました。
高校でも運動部に入っていたので、中学と同様、先輩に淡い恋心を抱いては接近する日々。
もらった手紙にプリクラが入っていたり、「大好きダヨ!」と書かれていたりすることに胸をときめかせる日々でした。
だけれども元来飽き性の私は、先輩とある程度仲良くなれると満足するのか興味失い、また別の人に接近するという日々(サイテー!!)
好きになった時には自分の持っているエネルギーを全部注ぎ込み、全身全霊で愛するのだけれども、ふっと糸が切れるかのように必要としなくなる瞬間が来る。
その恋愛スタイルはこの後ずっと続きますが、まあ、相手からしたら迷惑以外の何物でもないですね。
例えば友達とかでも、小学校の時は席替えするたびに「一番仲の良い子」が変わっていました。
ずっと一緒にいたり、相手の気持ちが強くなってくると、なぜだか逃げ出してしまいたくなっていたのです。
だけれども心の中では、ずっと側にいても息苦しくならない人、自分を理解してくれるたった一人の人を求めていたのだと思います。
そういうわけで、表向きは友達もいて不自由していなさそうだけど、実際にはちゃんと関係を築けていないという状態でした。
たぶん中学の時もその片鱗はあったのだろうと思いますが、自分の中で問題として浮上してきたのはこの頃だったと思います。
なんでみんなは同じ人といても飽きないんだろう?って不思議でした。
そして、自分の身勝手で人を傷つけているかもしれないという罪悪感もこの頃から徐々に芽生えていきます。
そして高校1年生の秋、私はある作品と出会います。
「マリア様がみてる」
(レズにありがちって思った人手を挙げて~)
もともと購読していた少女漫画誌に、漫画化された当作品が載っていたのがきっかけで、百合の香りを感じたためすぐに原作のノベルを読み始めました。
私、これにめちゃくちゃはまってしまって、一日に一冊以上のペースで黙々と読みました。
休み時間も友達を寄せ付けずにひたすら読む。
なかでも私が好きだったのは、佐藤聖が主役の「白き花びら」(『いばらの森』収録)でした。(これもめちゃくちゃありがち)
これを読んでビビビッっときました。
あ、私の思っている、感じていることがそのまま書いてある、って。
当時高校生だった私は厭世感たっぷりで、上記の人間関係の悩みもあって、「普通に生きること」と折り合いがついていなかった。そしてその状況から救ってくれるようなたった一人に出会いたいと思っていた。
物語の中の聖とシンクロしてしまって、心の底にあったあいまいな願望が明文化されてしまった。のめり込みやすいところも、感情が激しいところも、自分にそっくりだ!って。
あともう一点衝撃的だったこと。
「え、女同士でキスするんだ!?」
(笑)
女同士で恋愛することにピンときていなかった私が、それを意識するきっかけになった出来事でした。
このことを境に、私の中で女性が「友情を越えた存在」にもなりえると認識されることとなりました。
この頃にはもうすでに、男性への興味はぱったりとなくなり、女性へと対象がシフトしていきます。
そしてそして、もっとこういう作品が読みたい!!ということで、アマゾンで書籍を物色していたところ、「あなたへおすすめ」ということで出てきたのが、この後の人生を左右することになる作品。
中山可穂著の『白い薔薇の淵まで』でした。
長くなったので、ここらで一旦切ります。