Lの骨の髄まで

Lな私の、Lだった私の、恋愛や日常についてなどなど…

愛子ちゃん②

秋が来た。

 

夏に中山可穂作品を読み漁っていた私は、完全に「女性と恋愛したい」モードになっていた。

けれども、「女性を好きになる」経験値が低かった私は、すぐに愛子を好きになったわけではなかった。

恋愛に猪突猛進タイプの私は、「友達を好きになっちゃいけない」なんて罪悪感を抱くタイプではないので、ただ単に、この子は友達だと思っていたのだろう。

それまで先輩に憧れのような恋心を抱いたことしかなかった私には、自分と同じ目線に立つ同級生を好きになることはハードルが高かったのかもしれない。

 

それに、愛子といると、なぜだか寂しさを感じることも多かった。

自分よりも他の子とのほうが楽しそうに話しているとか、どうして私を優先してくれないのとか。

今考えると、やきもちとか我儘としか思えないのだけれど。

そう、たぶん、自分だけのものにならないのが悔しかったんだと思う。

そういう微妙な気持ちを抱えたまま日々は過ぎていった。

 

 

高校2年生の秋、修学旅行。

私たちの学年は沖縄に行った。

 

碧い海も水族館も鍾乳洞も戦争の傷跡も、すべてを心に焼き付けた。

 

この旅行中も私たちは他のグループと一緒に回ることは少なく、ほぼ二人で行動した。

たくさんの景色を見た。それはそれでよかったけど。

もっと、彼女の表情を、瞳の奥に残せばよかったなと、今は思う。

 

万座毛でなぜか二人の腕でハート形を作って写真を撮ったこと、一緒に漕いだカヌーは全然前に進まなかったこと、私の嫌いなゴーヤチャンプルーを愛子が隣でおいしそうに食べていたこと、なんだかくだらない事ばかり思い出す。

 

お土産屋さんでターコイズブルーの、波をモチーフにしたグラスを買った。

愛子が選んでくれたものではないし、お揃いでもないんだけど、その色は私たちが好きな色だったから、思い出の品になった。

 

 

3泊するうち、2泊は他のグループの子たちと同じ部屋だったので、3泊目だけ愛子と二人部屋だった。

 

最終日の朝、私が目を覚ますと、ユニットバスから髪を濡らした愛子が出てきて身支度を始めた。

スカートの中にワイシャツをきっちり入れて、立ったまま丁寧に髪の滴をおさえていた。

普段はベストで隠れていて見えない、ウエストのラインは華奢で。

 

どういうわけか抱きしめてしまいたくなった。

 

 

突然抱きしめたら変に思うよな、などと考えているうちに、その部分はベストによってきれいに隠されてしまった。

 

思えばこれが、彼女を「友達」という関係性の外で認識した最初だったかもしれない。

 

それでもやはり、恋愛経験知の低い私は、これを恋だとは認識しなかった。

 

それどころか、沖縄から帰ってからというもの、私は愛子といることがたまらなく息苦しく感じるようになった。

とにかく一緒にいたくない、少しのことが気に障る、話せない、目を見られない。

 

春からずっと二人で過ごしてきた愛子は、すぐに私の異変に気付いた。

それでも、何も聞かずに、ただ変わらずに隣にいた。

そのことすらも、私を逆上させて、事態は悪くなるばかりだった。

 

当時の私の言い分は、やっぱり性格が合わなかったとか、そういうくだらない言い訳でしかなかった。

 

 たぶんすごく好きだった、でも、それと同じくらい嫌いだった。

 

確かめたかったのかもしれない、離れていかないのかどうか。

愛情を計りたかったのかもしれない、ただの「友達」相手に。

 

大人になった今は、人の気持ちがどれほど移ろいやすく、絆は脆いものかわかる。

人の心を試すようなことは、自分のためにもならないということも。

 

幼かった私は、不安のぶつけ方も、大事にする方法も、なにも知らなかった。

 

 

修学旅行から帰って程なくして、文化祭の季節がやってきた。

 

 

 

愛子ちゃん①

こんにちは、こんばんは、〇〇です。

(まだ名無しです、たぶんしばらくこのまま。)

今回から少しの間、とても大事な人について書きたいと思います。

忘れないうちに、早く、早く。

 

 

その人は、とてもきれいな人でした。

 

私が高校時代、唯一好きになった人。

憧れではなく、最初に「恋」した女性。

そして、たぶん最初に愛した人で、今のところ、最後に愛した人でもあります。

 

高校のパンフレットに載るくらいで、正統的な美人というような顔立ちだった。

でも彼女の性格もあって、かわいいという表現の方が合うかもしれない。

くりっとした大きな瞳が目を引く、化粧品のCMに出ていそうと言われるような、おおむね誰が見てもきれい、というようなそんな容姿をしていた。

 

美しかったのは外見だけではなくて、それ以上に心が美しい人だった。

人に対する愛情が豊かで、彼女の近くにいると、温かい光に包まれているようなそういう印象を与える人。

 

1年生の時はクラスが違ったけれども、「学年のかわいい子」の話になると必ず名前が挙がる子だったから、存在は知っていた。

夏祭りの時に共通の友達の紹介で初めて言葉を交わした。

ピンクや紺や水色の鮮やかな浴衣が並ぶなか、夜の暗闇に、その子の白だけが映えていた。

「かわいいね」と言葉をかけると、ありがとうとは言わずに、はにかみだけで答えた。

その日以来私も、「学年のかわいい子」の話になると決まって彼女の名前を出した。

 

 

高校2年生に上がる前にあったクラス別の説明会で、彼女も私と同じ進学クラスを選択したことを知った。

仲良くなりたい、と瞬時に思った私は「隣いいかな?」と言って、彼女の側に座り少し話をした。

 

この時には、これから先何年も関わっていくことになるなんて想像もしておらず、かわいくて人気者の彼女とお近づきになれたら、高校生活が楽しくなるだろうなとか、一方では、この子が運命の人だったらどうしよう~などといった浮ついた気持ちだったろうと思う。

 

 

そして、高校生活は2年目に突入した。

 

 

ここからは便宜上、彼女の名前を愛子と付けます。

愛情に溢れていたから愛子、単純です(笑)

 

 

同じクラスになった私たちは、クラス別説明会の時に顔見知りになっていたので、すんなりと友達になることができました。

 

愛子は人気者なのに人見知りで同じクラスには知り合いもいないよう…。

それでも一度友達になると懐っこいようで、出会って間もない私の腕を組み、「人見知りなんだよね…」と呟いた。

この時の、遠慮がちに組む腕の感触は、10年以上経った今でも思い出せる。

彼女の長い髪が風でやわらかく揺れたことも、その風が春の香りをまとっていたことも。

 

二人とも他に知り合いがいないこともあり、移動教室やグループを組む時もいつも二人だった。時間が経ってクラスに友達ができてからも、それは変わらなかった。

 

私は中学生の頃から女性に対しては強い感情があったし、なにより『マリア様がみてる』の影響によって百合脳になっていたため、彼女のような素敵な人と「二人」で行動することになんとなくときめいていた。

それに美しく優しい彼女が自分の運命の人なのではないかというおめでたい思考があったので、その前にこの人がどういう人なのか見極めたいという願望もあったかもしれない(本当に傲慢)。

 

私はすぐに彼女の虜になった。

きれいでかわいらしくて優しくて明るくて。

そして、その奥底に時折孤独が見えて、それがたまらなく好きだった。

 

 

夏頃に「学習合宿」という、文字通り学習のために宿舎に缶詰めにされる行事があった。確か二泊三日。その時も私たちは二人部屋で寝起きをともにした。

 

自由時間は夜寝る前のわずかな時間しかなかったが、お互いのいろいろなことを話した。

愛子は、中学の一時期いじめのようなものにあっていたこと、今まで好きな人ができたことがないことを話してくれた。

そして、

「私のお母さんは初めてお付き合いした人と結婚したから、私も最初の恋人と結婚したい!」

ということも。

 

今でこそ、「結婚したい」なんていう女性とはできれば恋愛したくないですけれどね、当時は高校生だったから「結婚」なんて遠い彼方だと思っていたからね。初めて付き合った人と結婚なんて不可能なのでは?というのも思っていたし。

とにかく、ちょっと気になる愛子ちゃんが「結婚」というワードを出しても、さほど気にしていなかったような記憶があります。

 

そしてその後に彼女が漏らした一言

「でも、この先好きな人ができない気がする…」

どちらかというと、こちらの方が印象深い言葉だった。

 

 

学習合宿も無事終わり、それと同時に夏休みがスタートしました。

当時の私は遊びに誘ったりするタイプでもなかったし、部活もしていたので、夏休み中は会うこともなかった。

今考えるともったいないことをしたな~

有り余る夏という季節を、もしも今だったら、彼女としたいことが山ほどあるのに。

 

もしももう一度あの夏が来るのなら、私はどんなことだってするのに。

 

 

そしてこの夏に出会ったのは、以前のブログに書いた、中山可穂さんの作品の数々でした。

読み漁って、すっかり百合からビアンの世界に足を踏み入れた頃、季節は運命の秋を迎えます。

 

 

 

 

 

美山先輩

今回は中学から高校時代に好きだった、美山先輩という人について書いていきたいと思います。

 

時系列が前後してしまうのが本当は嫌なのですが、中学高校をまたいでいるので、この辺で書いておくか~といったような気持ちです。

 

中学から高校時代とは書きましたが、実際には他の人を好きな時期も多分にありました。しかし期間としては4年間という長期なので思い出深いのでピックアップして書きたいなと。

 

そしてこの方が思い出深いのは、そう、

 

「めちゃくちゃタイプだったから」

 

この一言に尽きるでしょう…。

 

それでは思い出話、いってみましょう。

 

 

出会ったのは私が中学1年生の春、部活見学の時でした。

キャプテンだった彼女はキビキビと場を取り仕切り、しっかり者のお姉さんという印象でした。

一通りの見学が終わり、最後に部のパンフレットを手渡された時にお顔が見えて、一目で

「えっっ!めっちゃ美人っ!!!」

となりました(笑)昔から惚れやすい…。

 

もともとは他の部活に入ろうとしていたのですが、先輩を見てしまったので仕方がない、お近づきになりたかったので先輩がいる部に入部を決めました(単純)。

 

実際に入部してみると美山先輩はキャプテンだし2学年上だし、すごい厳しくて(笑)

私の同級生からは恐がられていたし、2年生からは少々疎まれていました(爆)

 

美山先輩は部活のキャプテンだけでなく、生徒会の副会長を務めていたり、学業でも優秀だったりと、当時の私からしたら「尊敬!!」って感じで、学年も2つ離れていることもあり、声をかけるのすらためらわれるような存在でした。

それは他の1年生も同じことで、そのことが余計に先輩の価値を高めていたのかもしれません。

肩につくくらいのワンレンの髪はいつもサラサラで、顔は戸田恵梨香水川あさみを足して割ったような顔だったと記憶しています。

(じゃあ私がそのお二方の顔が好きかというとそれは違うのです。まあ好みも変わりましたしね…)

 

美山先輩は美しくて強くて。

こんな風になりたいとか彼女にしたいとか友達になりたいとか、そういうことに考えが及ばないほど、憧れていました。


恋に対する熱量が半端ない私は、何かにつけて先輩に話かけられるネタを探し、先輩の目に留まるように部の中でも積極的に動き回りました。

とりあえず喋れれば道化でもなんでもよかったので、先輩に喜ばれるような、笑いが起きるような話題を心掛け、人懐っこくておもしろい後輩を目指したわけです。

 

そんな努力が功を奏して、1年生で私だけあだ名を付けてもらうことに成功しました。(変なあだ名なので秘密ですが…)

 

先輩が引退してからも何かにつけて連絡して…

と、ここまで書いて思い出したのですが…

どうやって連絡先を交換したのか、まったく覚えていない/(^o^)\ナンテコッタイ

たぶん、「先輩に会えなくなって寂しいので、アドレス教えてください」みたいなこと言ったと思うんだけど…。

あれ?電話で言ったんだっけ? たしか号泣しながら言わなかったっけ?

なんかもう、記憶が彼方なので思い出すの諦めます。

 

とにかく、1年生で唯一ゲットした先輩の連絡先にしつこいくらい連絡してました。

引退後も部室に置きっぱなしになっている先輩の備品を甲斐甲斐しく手入れしたり、カビが生えないようにシリカゲル入れたり…(笑)

 

と、まあ、こんな具合で大好きでしたが、先輩の引退後には新たに同じ部活内の先輩を好きになってしまったのですが。

美山先輩が卒業の時には、私の気持ちは別の先輩にあったので、美山先輩からはスカーフやネームをもらいませんでした。(薄情)

 

ただ、気分屋の私の悪いところで、ふと思い出したときに恋しくなって連絡を取るとかをしていました。

私が2年生の時の大きな大会前も、先輩が練習相手として駆けつけてくれたり、大会本番も「お時間あったらで構いませんので、見に来てください」とお願い(懇願)して見に来てもらったりと、後輩としてかわいがってもらっていたと思います。

 

その、2年生秋の大会以来はそんなに連絡は取っていませんでしたが、先輩が通っている高校に進学することになったときとかには連絡していたと思います。

 

 

そして、晴れて高校生になった私は集会などがあるたびに先輩を探していました。

 

久しぶりに見た先輩はやっぱりきれいで、でも久々に会ったせいか少しよそよそしかったです。

 

その時には(例に漏れず)他に好きな先輩がいたのですが、美山先輩を見たら気持ちが昔に戻っていくようでした。

 

私は得意の猛攻撃をしかけ、頻繁に連絡し、高校生だからどこかに遊びに行けないかななんて期待を抱いていました。

 

たぶん、そういう、「後輩からの好意」を少し行き過ぎた私の言動に、先輩は気づいてしまったのかもしれません。

 

メールの返信が遅くなったり、下手したら来なかったり。

私が「卒業するときに、先輩のジャージほしいです」と言ったのにも、

「他の人にあげるかもしれないからごめん」という旨の、少し迷惑そうな印象を受ける文で断られてしまいました。

 

同性の後輩にジャージをあげるというのはよくあることだったので、本当に先約があったのかもしれないけれども、メールから漂う雰囲気で、もう先輩にあまり関わらない方がいいのだと悟りました。

 

先輩を慕っていた私からしたら相当なショックでしたが、正直、どれだけショックだったのかは覚えていません。

記憶って、強いものでもいずれなくなっていくのだなあと。(だからこうやって文に残しているというのがあるのですが)

 

とにかく、迷惑をかけたくない、これ以上怪しまれたり嫌われたりしたくないと、先輩への長きに渡る(途中たくさん浮気しましたが…)恋心を封印しました。

 

それでも、先輩が卒業する時にはお祝いの言葉を送りたいと思い、メールをしました。

これからどのような進路を歩むのか、聞きたい気持ちを抑えて、シンプルにおめでとうと、これからも頑張ってくださいと。

返ってこないかもなーとは思っていたのですが。

 

結果的に、返信は来ました。

当時流行っていたデコメールで装飾された、カラフルなメールでした。

内容は、ありがとう、がんばるね、あなたもがんばってね、というような、私のシンプルなメールに対するシンプルな返信でした。

 

だけれども、先輩がメールの返信をくれたことが嬉しくて。

もう会えないことが寂しくて。

昇降口で、友達のいる前で、泣きました。

 

 

 

それから私は先輩のアドレスを消去して、自分の中からも完全に消し去ることにしました。

 

それ以来、先輩とは連絡を取っていません。

 

会ってもいません

と言いたいところですが。

 

実は一度、見かけたことがあります。社会人になってからです。

 

職場の飲み会の2次会でカラオケボックスに行ったときに、そこに店員としてフロントに立っていました。

高校卒業後の消息は一切不明だったので、かなり驚きました。

 

目が合った気がしました。

でもきっと、あの頃と印象が変わった私には気づかなかったんじゃないかな。

 

先輩は、あの頃のままでした。

 

でも、あれから数年、たくさんの素敵な女性を見てきた私からしたら、当時ほどの輝きはありませんでした。こうやって時は流れていくんだなという寂しさと救いを感じました。

 

偶然の再会から現在まで、すでに数年経っています。

 

先輩、お元気でしょうか。

 

あの頃の私の目には、キラキラしたあなたが眩しかったです。

青春の一時を共にした後輩として、今もどこかで幸せであることを祈っています。

 

中山可穂作品との出会い

アマゾンのおすすめ機能によって偶然に出会った中山可穂さんの本。

まあ、遅かれ早かれこの道を行くなら出会っていたでしょうが。ちなみにその時は高校2年生の夏でした。

いや、もしかしたら、ここで出会わなければ私はノンケだったのかもしれません、どうなんでしょう?

とにかく、当時大好きだったので(今も、特別な作家の一人です)、今回は語らせていただきます(笑)

前後のブログと時系列がごっちゃになってしまいますが、ご了承ください。

 

もう、彼女の書く中性的な登場人物たちの魅力にやられてしまいました。

大人になった今は、「これってどうなの?」と思う部分もありますが(爆)

思春期真っただ中の私にはまるで甘い毒薬のようで、強さ脆さ野蛮さ疑い深さ傲慢さ激しさ、それらすべてに陶酔していました。

 

そして、塁や理緒や絢彦に作者を重ねて憧れて、文章に散りばめられたインテリジェンスや激情を感じる度に、作者への思慕を強めていったのです。

 

私は基本的に一度読んだ本は二度と読み返すことはありませんが、彼女の作品については例外で、もう何度も読みました。

特に『白い薔薇の淵まで』の冒頭部分は、美しい、の一言ですね。

ラストまで一気に読んだ後、すぐに冒頭部分を読み返すことをおすすめします。

 

彼女の作品でどれが一番好きかというと、実は『白い薔薇の淵まで』ではなくて、高校生の頃は『感情教育』でした。

私小説ではないといいながら私小説の雰囲気があったので、作家自体を好きだったというのもあり、これが一押しでした。

今は何が好きかといわれると、難しいですね…なんだろう。もう一回全作品読み返してみないとわからないかもしれないですね(汗)

 

大好きすぎて、高校の卒業式の日にサイン会に行きました。

卒業式が終わったらその足で高速バスに乗ってサイン会の会場まで。

その時のアンケートに「この先もずっと好きです」と書きました。

サインが入った本を胸に抱えて寝て、しばらくの間はどこに行くにも持って歩きました。なつかしいな~。

 

あの頃の気持ちと全く同じかと言われたらそうじゃないけど、でも今でも新刊が出ればチェックしています。

最近は以前とはテイストが異なっていますが、端々に「中山可穂」らしさを感じると、昔好きだった人に再会した時のように胸が締め付けられます。

 

彼女の作品を読むまでは「女同士でキスしていいんだ!?」

だった私が、「女同士で愛し合っていいんだな」と思うようになりました。

普通の男女のように、あるいはそれ以上熱烈に、女性に愛情を持っていいのだと。

 

それと同時に、新宿2丁目の存在や、そういったコミュニティがあることも作中から知り、自分が知らない世界が広がっていることも実感しました。

当時は「ググる」なんて言葉もありませんでしたし、家にパソコンがなかった私は何と検索していいのかもよくわからず、情報を得る機会が少なかったので、本の中の世界こそが私が進む世界だと思っていました。

 

これ以降、図書館でLGBTに関する書籍を借りたり、NHKの「ハートをつなごう」(当時)などから情報を得たり、「Lの世界」を観たりして、大学に進学して自由になってからの自分を想像する日々でした。

 

 

ところで、私が最初に読んだ中山可穂作品は、『白い薔薇の淵まで』でも『感情教育』でもなく、『ジゴロ』なのですが、これは単に近くの書店にこれしか売っていなかったからです。田舎…(笑)

 

その中で一番ぐっと来たのは、ーたった一人の女を愛し続けるために、百人の女と寝ることもあるーというもので、当時の私はわかった振りをして、この部分がいい!と思っていましたが、実は全然わかっていなかった、というか、実感が伴っていなかった。

 

この言葉の本当の意味がわかるのは、もうしばらく後のお話です。

 

そして、この、最初に購入したジゴロは、とある女性の家に置いてきて、もう取りに行くことはできません(笑)

新しく購入しようかなと思ってから、もう3年ほど経ちます。

そのエピソードもいつか書けたらいいな…。

ある日出会ってしまった

女性に憧れた中学時代を経て高校に入学した私が思っていたこと

 

それは…

「彼氏がほしい、男にモテたい」

でした(爆)

 

校庭を歩いていたら~

野球部に声をかけられて~

「マネージャーになってよ~」とか、言われないかな~

 

なんて思っていた当時の私。

まあ特にかわいいわけでもないので、そんな機会には恵まれませんでしたけどね(笑)

 

相変わらず中学の時に片思いしていた彼を思っていましたが、脈なさそうだなとなって諦めがつき、夏頃には心の方もフリーになっていました。

高校でも運動部に入っていたので、中学と同様、先輩に淡い恋心を抱いては接近する日々。

もらった手紙にプリクラが入っていたり、「大好きダヨ!」と書かれていたりすることに胸をときめかせる日々でした。

だけれども元来飽き性の私は、先輩とある程度仲良くなれると満足するのか興味失い、また別の人に接近するという日々(サイテー!!)

 

好きになった時には自分の持っているエネルギーを全部注ぎ込み、全身全霊で愛するのだけれども、ふっと糸が切れるかのように必要としなくなる瞬間が来る。

その恋愛スタイルはこの後ずっと続きますが、まあ、相手からしたら迷惑以外の何物でもないですね。

 

例えば友達とかでも、小学校の時は席替えするたびに「一番仲の良い子」が変わっていました。

ずっと一緒にいたり、相手の気持ちが強くなってくると、なぜだか逃げ出してしまいたくなっていたのです。

だけれども心の中では、ずっと側にいても息苦しくならない人、自分を理解してくれるたった一人の人を求めていたのだと思います。

 

そういうわけで、表向きは友達もいて不自由していなさそうだけど、実際にはちゃんと関係を築けていないという状態でした。

たぶん中学の時もその片鱗はあったのだろうと思いますが、自分の中で問題として浮上してきたのはこの頃だったと思います。

なんでみんなは同じ人といても飽きないんだろう?って不思議でした。

そして、自分の身勝手で人を傷つけているかもしれないという罪悪感もこの頃から徐々に芽生えていきます。

 

そして高校1年生の秋、私はある作品と出会います。

 

マリア様がみてる

(レズにありがちって思った人手を挙げて~)

 

もともと購読していた少女漫画誌に、漫画化された当作品が載っていたのがきっかけで、百合の香りを感じたためすぐに原作のノベルを読み始めました。

私、これにめちゃくちゃはまってしまって、一日に一冊以上のペースで黙々と読みました。

休み時間も友達を寄せ付けずにひたすら読む。

なかでも私が好きだったのは、佐藤聖が主役の「白き花びら」(『いばらの森』収録)でした。(これもめちゃくちゃありがち)

 

これを読んでビビビッっときました。

あ、私の思っている、感じていることがそのまま書いてある、って。

当時高校生だった私は厭世感たっぷりで、上記の人間関係の悩みもあって、「普通に生きること」と折り合いがついていなかった。そしてその状況から救ってくれるようなたった一人に出会いたいと思っていた。

物語の中の聖とシンクロしてしまって、心の底にあったあいまいな願望が明文化されてしまった。のめり込みやすいところも、感情が激しいところも、自分にそっくりだ!って。

 

あともう一点衝撃的だったこと。

 

「え、女同士でキスするんだ!?」

(笑)

 

女同士で恋愛することにピンときていなかった私が、それを意識するきっかけになった出来事でした。

 

このことを境に、私の中で女性が「友情を越えた存在」にもなりえると認識されることとなりました。

この頃にはもうすでに、男性への興味はぱったりとなくなり、女性へと対象がシフトしていきます。

 

そしてそして、もっとこういう作品が読みたい!!ということで、アマゾンで書籍を物色していたところ、「あなたへおすすめ」ということで出てきたのが、この後の人生を左右することになる作品。

 

中山可穂著の『白い薔薇の淵まで』でした。

 

 

長くなったので、ここらで一旦切ります。

中学時代の恋

今日はクリスマスイヴですね~

私はいつもと変わらぬ日常を過ごしています(泣)

みなさまは、いかがお過ごしでしょうか?

 

改めましてこんにちは、こんばんは、〇〇です。

まだ名無しです。こういうの考えるのすごく苦手で。

 

今日は、私がセクシュアリティに気付くまでの経緯をお話ししたいなと思います。

 

性のめざめとか言われてもピンとこないけど、たぶん一番古い記憶は幼稚園児のころ。

夢の中に隣の組の先生が出てきて、なぜか真っ赤なマニキュアを塗っていて、その美しい手に魅了されてしまうという…なんかビアンっぽいエピソードじゃない?

もちろん起きた後は先生のこと意識しまくりでした(笑)

肩ぐらいの髪にキツめのパーマ当ててる先生で、だからか私は今でもパーマの女性が好きです…三つ子の魂なんとかって言いますもんね。

 

パーマといえば、同じく幼少期ですが、セーラームーンに出てくるネプチューンこと海王みちるも大好きでした(これはみんな通る道では?)。

だから私は今でも…(以下略)

幼いながらにウラネプが好きという、まさにレズの優等生(笑)

ウラネプが出ているシーンを親と見るのが後ろめたく、好きだけれどなんとなく悟られてはいけない、みたいに思っていました。

 

そんな子供でしたが、特に恋愛対象女性というわけでもなく、興味のある女性とかはいましたが、何かが起こったわけでもなく日々を過ごしていました。

 

が、しかし、中学に上がった時にある出会いがありました。

部活の体験入部で見た3年生のキャプテン。

彼女に一目惚れして、部活を決めました。不純~!

その部は全国大会を目指すような部でめちゃくちゃ厳しくて、のちに猛烈に後悔することになりましたが…。

その3年生を皮切りに、2年生のボーイッシュな先輩や、同じく2年生の優しい先輩に好意を抱きました。(気が多い)

 

そんな私を見て、ある友達が

「男も女も好きになれる人を、バイセクシャルって言うんだよ」

って教えてくれて。

おそらくそれが初めて、セクシュアリティに関する単語を知った瞬間でした。

 

ただ、当時の私は、その先輩方とお付き合いしたいとか自分の彼女にしたいとかそういったところまでは考えておらず。

他の後輩が仲良くしていたら嫉妬したり、先輩としゃべれない日は落ち込んだり、話しかけられると嬉しかったりとその程度で。

最終目標は誰よりも仲良くなりたい、プライベートで遊びに行ったり、先輩が卒業の時にはネームやジャージをもらいたい、そんな感じでした。

 

幸い、私は昔から年上女性に好かれる性分だったので、家に招待してもらったり、手紙やプレゼントをもらったりと、なんやかんや楽しく過ごしていたと思います。

 

一方で、同級生の男の子に片思いしたりもしていたので、なんというか「憧れ」に近い感じだったのかなと思います。

女性同士でお付き合いするなんていうことも全く想像すらしなかったし、そんなことがこの世にあるとすら思っていなかった。

 

もし、中学生の時、片思いしていた男の子と付き合えたりしていたら、私がビアンとして生きていくこともなかったのかなと思ったりすることもあります。

 

1年生、2年生のころは憧れの先輩を追いかける日々でしたが、3年生になって先輩が卒業してしまうと、同級生の男の子に恋をするという、いわゆる「普通」の中学生活を送ることとなりました。

 

こうやって書くと、ものすごくサラッと何事もなかったかのようですが、実際にはいろいろとありました。

なんで自分は女性にこんなに執着するの?

どうしてこんなに苦しいの?

普通じゃないんじゃない?

こんなに好きなのに、好きって言ってはいけないよね?

って思い悩むこともあった。

 

でも結局は、女性同士の恋愛があるなんて知らなかったから、無知ゆえに救われたというか、答えがない「好き」にも真っ向から立ち向かえた。

「だって、好きなもんは好きだし、仲良くなりたい!」って。

人には言ってはいけないと思いながらも開き直っていたというか。

そんな中学時代でした。

ブログ、始めてみました。

はじめましての方も、そうじゃない方もこんにちは。

 

タイトルの通り、今日からブログを始めることにしました〇〇です。

〇〇と書きましたのは、まだ何という名前でやっていくか決まっていないからです。リアルの名前でいこうかなとも思いましたが、ここでの私はまた別人でやってみたいなとも思ったので、今考え中です。

 

「Lの骨の髄まで」というタイトルから、界隈の方々は察しがついたと思いますが、私はレズビアンとして生きてきました。

仲の良い友達がブログを始めたのもあって、私も自分のことについて書いてみたいなと思って、ブログをやってみることにしました。

 

自分のこれまでの恋愛や考え方や生き方なんかを書いていきたいなと思います。

ほとんど自己満足で始めました。

が。

私がまだ高校生で自分のセクシュアリティに気付いたばかりのころ、いくつかのブログによって「こういう世界があるんだ」と知ったり、元気づけられたりした経験があります。

そのブログのようにしたいといったらおこがましいですが、でも、もしもひとりで悩んでいるかつての私のような人がいるのなら、力になれたらなと、そんな思いもあったりします。

 

ということで、名前のない私ですが、少しだけ自己紹介します。(前情報がないとイメージしづらいかなと思いまして…)

私は関東のどこかに住んでいるアラサーで、冬生まれのA型です。

身長は160㎝代後半、以前はボイ寄りの中性でしたが、今はいろいろあって何でもない普通の女性っぽい格好で生きています。髪はやっと肩くらいまで伸びました(笑)

多趣味の飽き性で、心配性でもありますが、大体のことはどうでもいいと思っています。

あ、ちなみに「Lの骨の髄まで」というのは、私が高校生のころ大好きだった作家(界隈ではあまりに有名ですが)の、とある作品のタイトルをもじったというか、語感をまねたものです。

このブログと作品は一切関係ありません。ただ、もともとの題名、とても美しくて大好きなんです。文章もとても好きです、甘美で冷徹で、とてもいいです。

私はもちろん、あんなふうには書けませんが(まず教養がないので!)、自分なりにたくさん考えて書いていきたいなと思います。

 

次回からは、本編を書いていきますが、しばらくは過去話を中心に書いていこうと思います。

お時間ある方は、ぜひぜひお付き合いください。